2017年02月01日

色気とは教養である。

提唱している本人の私を含め、お耽ビッチというスタイルには《挑発的で強い》というイメージが先行している。しかし、最も大切にしているものが《慎み深さ》であることは揺るぎない。

それは対極をなす性質と感じられるかもしれないが、『肌を見せても上品。隠しても色っぽい』というお耽ビッチの定義は慎み深さに付随する《奥ゆかしさ》を体現している。

元より私自身が活発な人間ではないし、品行と性的慣行に対しては頭が固い。
それでいて年齢性別に関わらず『色っぽい』と形容されるのは、見る者の感覚を活気づけ、情緒的感動を呼び起こす教養を身につけている為である。


“『色気がないからセクシーなお洋服は似合わない』というご相談を受けることがありますが、お耽ビッチの定義に基づくと色気とは教養です。教養が伴わなければ容姿を磨いても意味がありません。美は一日にしてならずという言葉がありますが、教養も同じくです。まずは自分と向き合うことが大切です。”

私は以前、NUDE N' RUDEのオフィシャルツイッターにて上記の言葉を書き留め、引き続きこのような補足も加えた。

“教養の有無は意識せずとも、立ち振る舞いや所作、言葉遣いなどに自然に表れてしまうものです。言葉遣いが乱暴(汚いとは異なります)でも品格を失わない人や、奇抜な容姿や強気な姿勢でも自己顕示欲を感じさせない人=ビッチがいます。それは培ってきたものを自分流に使いこなしている上級者です。”

すると、意外な反応を得る結果に…

それは心理学や社会学を扱う人達や戦争を経験したお歳の方など、ファッションや美容に関心を持つ層以外のアカウントにまで幅広くリーチしたらしいことである。

理由はおそらく、冒頭で述べた慎しみ深さ、奥ゆかしさというものが《日本人の根底にある美徳》に触れた為ではないだろうかと私は考える。

日本人が美徳とする、慎み。本当の意味での慎しみとは、遠慮ではなく配慮であると私は考える。それは自己肯定が出来る上で成り立つもの。

故に、『華麗でありながら淑やか』この相反して見える表裏一体の佇まいこそが私の追求する唯一の美。

それが世に溢れかえる多様な美の価値観との区別であり、NUDE N' RUDEを介し伝導していくべきスタイルであると確信している。


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画像は奈良へ帰省した際の一枚。観光の喧騒から離れた、浮見堂で。

日常のささやかな写真はインスタグラムで更新中。



最後に。

提唱し始めた頃は全くの冗談であると受け入れられなかったが、今では浸透に手ごたえを感じているお耽ビッチというネーミングについて。

すっかり定着しているが、『他に良い言葉はなかったのか』『それだけが受け入れ難い』という、言葉選びに対する批判はまだ少なからず存在する。

しかし仮にかっこいい横文字ともなれば、それは逆に恥ずかしいものへと成り下がるのである。キメどころ』はそんな所ではない。
お耽ビッチの誕生エピソードを記したひとつ前の記事から、ここまで読み進めていただいた方にはもうお分かりだろう。

このネーミングを超えるような的確な表現と“破壊力のある”言葉は、現在ないに等しい。


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株式会社BLACK LADY 代表取締役
NUDE N' RUDE オーナー /デザイナー
本音璃里亜

posted by 本音 璃里亜 at 08:06 | TrackBack(0) | 理念 / 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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